STORY
SNOWDRIVE開発ストーリー
SNOWDRIVE(スノードライブ)は、スキー・スノーボード人口の減少により厳しさを増すスノー産業をなんとかしたいと考えたひとりのプロスキーヤー・北澤澤登(きたざわさわと)によって開発された、長野県茅野市発祥の新しいスノーギア。
日本のスキー・スノーボード人口は、ピーク時と比べて6分の1程度まで減少している。スキー・スノーボード客を奪い合うのではなく、ウィンタースポーツをしない新しいお客さんをスキー場に呼び込み、日本のスキー産業を活性化させたいという思いで、構想から約8年かけて商品化に至った。2015年に一般販売を開始すると地元を中心に話題となり、口コミで少しずつスキー場関係者に広まった。2022年現在では、全国約30箇所のスキー場で滑走が許可されている。
日本には約200箇所の主要スキー場があるといわれる。より多くのスキー場に価値を感じてもらい、スキーやスノーボードと同じようにスノードライブが滑れる状態をつくるために、2020年に長野県茅野市の地元の有志が集まりスノードライブ協会を立ち上げた。今、この新しいスノーギアを全国に広めようという動きがはじまっている。
年間100日は海外遠征。
プロスキーヤーとして生きた若き日々
北澤は若かりし頃、プロスキーヤーとして活躍していた。プロスキーヤー・登山家の三浦雄一郎氏の父で日本スキー界の草分け的存在である三浦敬三氏に師事し、弟子として一緒にヨーロッパを周る日々。「北澤澤登と滑るツェルマット11日間」といった観光スキーツアーが組まれ、年間100日は海外の雪山を巡り、日本人スキー客を牽引した。
当時はスキーバブルでそれは良い時代だったと振り返る北澤はその後、地元の長野県茅野市に戻ってからもスキーインストラクター資格をいかしてスキースクールの校長を務めるなど、スキーひと筋でやってきた。しかし時代は変わり、ピーク時には約1800万人いたという日本のスキー人口は300万人程度まで減少。スキー場の廃業も相次ぐようになった。このままではスキー産業は衰退し、雪山での遊びもなくなってしまう──。自分が生きてきた業界に恩返しをしたいと、新たな事業に乗り出した。
北澤は若かりし頃、プロスキーヤーとして活躍していた。スキー選手・登山家の三浦雄一郎氏の父で日本スキー界の草分け的存在である三浦敬三氏に師事し、弟子として一緒にヨーロッパを周る日々。「北澤澤登と滑るツェルマット11日間」といった観光スキーツアーが組まれ、年間100日は海外の雪山を巡り、日本人スキー客を牽引した。
当時はスキーバブルでそれは良い時代だったと振り返る北澤はその後、地元の長野県茅野市に戻ってからもスキーインストラクター資格をいかしてスキースクールの校長を務めるなど、スキーひと筋でやってきた。しかし時代は変わり、ピーク時には約1800万人いたという日本のスキー人口は300万人程度まで減少。スキー場の廃業も相次ぐようになった。このままではスキー産業は衰退し、雪山での遊びもなくなってしまう──。自分が生きてきた業界に恩返しをしたいと、新たな事業に乗り出した。
老若男女が楽しめるスノーギアを。
構想に8年かけ新しい乗り物を開発
スキーに魅了されてきた半生だったが、これからのスキー場には「新しい遊び」が必要だと感じていた。スマホの普及により遊び方の幅が広がった時代に、時間もお金もかかるスキーやスノーボードはあまりにも敷居が高い。もっと手軽で誰でもできる道具がなければと考え、座って簡単に滑れる「ソリ」に着目した。そこでさまざまな形の海外製ソリを片っ端から取り寄せてみたものの、ゲレンデを上から下まで滑ってくるのは難しかった。エッジを効かせてブレーキをかけられないソリでは、急斜面でのコントロールができず、ゲレンデ下の緩やかな斜面を滑るのが精一杯だったのだ。
ゲレンデを自由自在に滑れなくては意味がない。ソリと身体障害者向けのスキーから着想を得て、1本のスキー板にまたがって乗る形を思いつき、木にプラスチックスコップの先端を取り付けた試作機「白樺1号(写真左)」を製作した。何度も滑っては改良を重ね、より磨きをかけた木製の「白樺2号(写真右)」をプロトタイプに工場での製作に入った。少しずれるだけで力の加わり方が変わってしまうため、1センチ単位でのバランス調整には時間と労力を惜しまなかった。構想・開発に実に8年近い年月を費やし、雪山を知り尽くしたプロスキーヤーの知見をすべて注ぎ込んだ自信作が完成した。
スキーに魅了されてきた半生だったが、これからのスキー場には「新しい遊び」が必要だと感じていた。スマホの普及により遊び方の幅が広がった時代に、時間もお金もかかるスキーやスノーボードはあまりにも敷居が高い。もっと手軽で誰でもできる道具がなければと考え、座って簡単に滑れる「ソリ」に着目した。そこでさまざまな形の海外製ソリを片っ端から取り寄せてみたものの、ゲレンデを上から下まで滑ってくるのは難しかった。エッジを効かせてブレーキをかけられないソリでは、急斜面でのコントロールができず、ゲレンデ下の緩やかな斜面を滑るのが精一杯だったのだ。
ゲレンデを自由自在に滑れなくては意味がない。ソリと身体障害者向けのスキーから着想を得て、1本のスキー板にまたがって乗る形を思いつき、木にプラスチックスコップの先端を取り付けた試作機「白樺1号(写真左)」を製作した。何度も滑っては改良を重ね、より磨きをかけた木製の「白樺2号(写真右)」をプロトタイプに工場での製作に入った。少しずれるだけで力の加わり方が変わってしまうため、1センチ単位でのバランス調整には時間と労力を惜しまなかった。構想・開発に実に8年近い年月を費やし、雪山を知り尽くしたプロスキーヤーの知見をすべて注ぎ込んだ自信作が完成した。
2015年に販売を開始し
「茅野発祥スポーツ」として地元で話題に
「遊園地でゴーカートに乗る感覚で、雪山をドライブできる」
をコンセプトに「SNOWDRIVE(スノードライブ)」と名付け、2015年に販売を開始。白樺湖ロイヤルヒルスキー場を拠点に試乗会を行っていると、「こんな乗り物がほしかった!」とユーザーの間で口コミが広まり、地元で少しずつ話題になっていった。
いざ世に出してみると、さまざまな理由からスキー・スノーボードには抵抗があるが雪山を滑りたいという人は予想以上に多いとわかった。驚いたのは、スポーツが苦手な人に留まらず、身体障害者のグループがすぐに乗りこなしてしまったこと。ケガの不安からウィンタースポーツを控えている芸能人がお忍びで遊びに来るようになったり、東南アジアなど雪のない地域からの観光客が雪に慣れる道具として役立ったりと、想像を超える反響があった。
スノードライブには、単なる遊び道具以上に、日本のスノー産業や観光産業を救える可能性がある。そう確信し全国のスキー場に少しずつ広め、現在では全国約30のスキー場が滑走を許可してくれている。スキーやスノーボードも最初はそうだったように、普及するまでは大量には作れないうえ、絶対的な安全性を保証するために改良を重ねる必要があった。まずはユーザーの声やエピソードを地道に伝え、賛同してくれるスキー場関係者や一緒に広めてくれる仲間を集めてきた。
「遊園地でゴーカートに乗る感覚で、雪山をドライブできる」
をコンセプトに「SNOWDRIVE(スノードライブ)」と名付け、2015年に販売を開始。白樺湖ロイヤルヒルスキー場を拠点に試乗会を行っていると、「こんな乗り物がほしかった!」とユーザーの間で口コミが広まり、地元で少しずつ話題になっていった。
いざ世に出してみると、さまざまな理由からスキー・スノーボードには抵抗があるが雪山を滑りたいという人は予想以上に多いとわかった。驚いたのは、スポーツが苦手な人に留まらず、身体障害者のグループがすぐに乗りこなしてしまったこと。ケガの不安からウィンタースポーツを控えている芸能人がお忍びで遊びに来るようになったり、東南アジアなど雪のない地域からの観光客が雪に慣れる道具として役立ったりと、想像を超える反響があった。
スノードライブには、単なる遊び道具以上に、日本のスノー産業や観光産業を救える可能性がある。そう確信し全国のスキー場に少しずつ広め、現在では全国約30のスキー場が滑走を許可してくれている。スキーやスノーボードも最初はそうだったように、普及するまでは大量には作れないうえ、絶対的な安全性を保証するために改良を重ねる必要があった。まずはユーザーの声やエピソードを地道に伝え、賛同してくれるスキー場関係者や一緒に広めてくれる仲間を集めてきた。
スキー、スノーボード、の次を「スノードライブ」に。
目的はスキー場経営を救うこと
海の遊びは、サーフィンの次にもっと手軽なSUPが流行った。雪山の遊びにも、スキー、スノーボードの“次”があってもいいのでは?
これまでにも、スキー・スノーボード以外のスノーギアはいくつか登場している。しかしそのどれもが初心者には難しく、スキー場での遊びに慣れた人が手を出すものだ。まだ確固たるアイテムがない「第3のスノーギア」をスノードライブが担えるのではと考え、より公共性を保って普及活動をするために、地元の有志たちで2020年に日本スノードライブ協会を立ち上げた。
ウィンタースポーツ人口の減少、感染症流行によるインバウンド客の減少、気候変動による積雪不足と、スノービジネスを取り巻く環境は決してよいとはいえない。しかし、そんな状況下でも未来に向けて動こうとしているスキー場関係者からは、北澤のところに連絡があるという。
スキー・スノーボード客を取り合うのではなく、「新しいお客さん」を呼び込み、“雪山をみんなのものに”するために。スノードライブの挑戦は、そのミッションに共感する同志とともに、未来に向けて動き出している。
開発者プロフィール
北澤澤登
プロスキーヤー/寛ぎの宿 澤右衛門 宿主
日本スキー界の草分け的存在である故・三浦敬三氏に師事し、ヨーロッパの氷河を中心に滑るプロスキーヤーとして活動。白樺湖ロイヤルヒルスキースクールで校長を務め、現在は白樺湖ロイヤルヒルスキー場横で旅館「寛ぎの宿 澤右衛門」を営む傍ら、スノードライブの開発・製造を行っている。
北澤澤登
プロスキーヤー/
寛ぎの宿 澤右衛門 宿主
日本スキー界の草分け的存在である故・三浦敬三氏に師事し、ヨーロッパの氷河を中心に滑るプロスキーヤーとして活動。白樺湖ロイヤルヒルスキースクールで校長を務め、現在は白樺湖ロイヤルヒルスキー場横で旅館「寛ぎの宿 澤右衛門」を営む傍ら、スノードライブの開発・製造を行っている。